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生成AIとの付き合い方を考えた、あるプロジェクトでの経験

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PCで仕事をする女性とサポートするミニロボット

異なるバックグラウンドのメンバーと進める文化プロジェクト

最近、とあるプロジェクトに約1年ほど関わっています。
市民参加型で進められる文化プロジェクトで、年齢も職業も異なるメンバーとオンラインを中心に活動を進めてきました。
ときどき一緒にフィールドワークも行っており、現在はその集大成となる発表資料を作成中です。

私はその中で、「謎解きパートの構成と内容を、調査資料をもとに考える」という役割を担っているのですが、活動が進むにつれて、あらためて考えさせられる出来事がありました。

それは、「人と一緒にものづくりをすることの難しさ」と、「生成AIとどう付き合っていくか」というテーマについてです。
今回はその経験を通じて感じたことを、少し共有したいと思います。

生成AIと人との共創――方向性のズレに感じた違和感

プロジェクトの後半に入り、チーム内での方向性のズレが大きくなってきたのを感じました。
特に違和感が大きかったのは、ファシリテーターの方が自分が担当するストーリー部分を生成AIで作成し、それに他のパートを合わせようとしていたことでした。

AIを使うこと自体に否定的な気持ちはありません。私自身もアイデア出しや構成の整理などで活用することがあります。
ただその時、「AIが出した答えが最終形で、人間がそれに合わせて作業していく」ような構造になっていたことに、どうしても違和感を覚えました。

「AIでいいか?」がもたらすモヤモヤ

チームで何度も話し合って積み上げてきたはずの内容が、いつの間にかAI主導のストーリーに置き換わっていく。
その状況は、「みんなで作る意味って何だろう?」と自問するきっかけになりました。

さらにミーティングでは、「絵本の絵も生成AIで作ればいいかと思ってる」という発言があり、そこでも大きなモヤモヤが湧きました。
せっかくチームで時間をかけて進めてきた最後のコンテンツなのに、「AIでいいか」という一言で、そこに込められるはずだった人の工夫や思いが軽く扱われてしまったように感じたのです。

時間をかけて“人が描く”ことを選んだ意味

最終的に話し合いを重ねて、コンテンツの絵は、それぞれが担当するパートを決めて描くことになりました。
手間はかかるけれど、私たちらしさがにじむ形にできたのは、とても良かったと思っています。

AI時代の“人とつくる”を問い直す

この経験を通じて感じたのは、AIを使うならこそ、「どこまでをAIに任せるか」「どこに人間の創造性や対話を残すか」を明確にすることの大切さです。
効率だけで進めてしまえば、プロセスに込めた思いや関わりが置き去りになる。
技術が進化する時代だからこそ、「人と一緒につくる意味」にもっと敏感でありたいと思いました。

プロジェクトはまだ継続中ですが、自分の中ではこの経験が強く印象に残りました。
最後まで関わる中で、自分の言葉で伝えられること、自分らしい表現ができることを大切にしていきたいです。

ITコラム
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